「大人の力」を感じた修学旅行[前編]
こんにちは、ステーキよりハンバーグ派のテューです。
今回は僕の高校時代の修学旅行について書きたいと思います。
なお、グループメンバーと写真を撮ったとか夜に部屋で恋バナで盛り上がったなどのくだらない華やかな内容は一切出てこないので、皆さん安心して読んでいただけたら幸いです。
先生の所有物と化した修学旅行
皆さんにとって修学旅行とは何ですか?
- 友達と楽しいことをして一生の思い出をつくる
- まだ訪れたことのない場所に行ける貴重な体験
- 学校で授業を受けないでいい!!
など、みんなで楽しい思い出つくろーぜ!な人も面倒くさいなーという人も、それなりに楽しみにしていたイベントだったのではないでしょうか。
ちなみに僕は修学旅行用にもらったお小遣いをいかに節約して欲しいゲーム(CODBO2)を買うかで頭がいっぱいでした。そのため僕は上記のめんどくせー側の人間でしたが、そこそこ楽しめました。
しかし、期待は全くしていませんでした。
その理由は高校入学当初まで遡ります。
その日は新入生オリエンテーション(うろ覚え)がありました。
あれやこれやと説明が終わり、最後にアンケートを取ることになりました。そのアンケートは修学旅行の行く場所を決めるものであり、後の華やかな高校生活を構成するはずだったものでした。
候補は
- 大阪方面
- 南三陸町と函館
- 沖縄方面
の3つでした。
ぴかぴかの高1でありルーズリーフの存在すら知らなかった僕ですが、すぐに違和感を覚えました。
そう
南三陸町と函館のどっしりとした構えです。
他の2つは「こんなんでどうっスか」という探り探りな感じですが、南三陸だけ具体的すぎだし、先生方が押しているのは明白であり、僕もすぐに察しました。
「先生方も色々考えてるんだなー」
そんなことを考えつつ、僕は迷うことなく大阪に丸を付けました。
絶望は突然に
それは1年生の10月頃だった気がします。
それまで僕は
「クラスで団結とか青春とか苦手だわー、でも彼女欲しい。あんなことやこんなことを・・・」
と、クソ陰キャ全開でしたが、クラスの同じ空気感の人とそれなりに仲良くやっていました。(友達になったとは言ってない)
そして、このままそこそこな高校生活が続けばいいと思っていました。
ある日のLHR(総合の時間)、ついに修学旅行の行先が発表されました。
我々は来年の修学旅行で南三陸町と函館に行くと。
みんなは困惑していました。
それもそのはずです。だって誰もが大阪か沖縄に行くと思っていたのですから。
実際僕もそうだと思っていたし、クラスや部活で仲の良い人に聞いてもみんな大阪か沖縄を選んだと言っていました。
みんなは決して「えー」などの不満は決して言いませんでした。(少なくともその場では)
南三陸と聞いて(あるいはアンケートで見て)恐らく全員がそこで自分たちが何をするか、そして何を学んで欲しいかを察していたからだと思います。
僕は決して南三陸町に行くこと自体に不満があったわけではありません。むしろ貴重な体験をできる良い機会だと思っていました。
しかし、修学旅行の行先としては大阪や沖縄に見劣りしてしまうこと。そしてなによりアンケートをしたにも関わらず、結果が反映されていないことがショックであり、怒りと失望、さらには先生への不信感へと変わっていきました。
やがて月日は過ぎ、高校生活で1番充実していたであろう1年生が終わり、例の修学旅行を控えた2年生になりました。
後編に続く