「大人の力」を感じた修学旅行[後編]
どうも、テューです。
今回は僕の高校時代の修学旅行についての後編です。
前編はこちら
「大人の力」を感じた修学旅行[前編] - 平凡ゲーマーテューの人生記録
1人で新聞作成!?
2年生になり、僕は修学旅行の新聞を作成する係になりました。
理由は単純明快、年に1ヶ月のみしか活動しないからです。
今振り返ると、学級委員でもやって就職活動でこれ見よがしにアピールすればよかったと思います。
そうしていれば、こんな梅雨の時期の濡れた靴下のようなじとっとしたブログなんか書かずに、サークルの仲間と宅飲みをして下品な酔い方をし、
「俺たち、いつまでこのままでいられるのかな」
と、それっぽいことを呟き、学生と大人の狭間で思い悩んでいたことでしょう。
話を戻しましょう。
この新聞は各クラスの男女1名ずつが担当し、訪れる場所の魅力や取り組みなどをまとめるものでした。4月最初の会議で僕のクラスは函館について書くことに決まりました。
そして6月、僕たちの原稿の締め切りが6月の下旬までと告げられ、僕たちは新聞の作成に取り掛かりました。
いや、正確には僕だけ取り掛かりました。
そう、彼女は来なかったのです。
立候補して新聞係になったあの彼女が来なかったのです。
「彼女」と置くと書いていてヤキモキするため、令和元年に相応しい「A子ちゃん」とさせてもらいます。
僕とA子ちゃんは恐らく同じ志を持ち、この係にあたっていたと思います。
それは
楽でサボれる!
です。
しかし、僕とA子ちゃんには決定的な違いがありました。それは「サボりたい」という思いを行動に移せるか否かです。
A子ちゃんはそれができました。僕はできない性格です。
例えば、体育の長距離走において僕は2割歩き8割普通のペース(運動できる人から1周遅れ)で走っていました。手を抜くのにサボることはできない性格なのです。面倒くさい
一方A子ちゃんは新聞はサボった(あるいは忘れてた)が、文化祭などのクラス行事は中心メンバーとして活躍していました。まさに太陽のような存在でした。
同じクラスだったため次の日に
「なんでこなかったの?」
と言う機会はいくらでもありました。
しかし、影の僕は太陽に話しかけることはできませんでした。そもそも僕が気軽に女性に対して話しかけられる人ならば、こんな濡れた靴(ry
新聞完成。そして修学旅行へ
他のクラスが楽しそうに新聞を作成するなか、毎回僕は黙々と二人分の作業をこなしていまいた。そんなある日のことです。
僕の隣で作業していたクラスの女子もサボり来なくなったのです。隣で作業していた男子は僕と同じ卓球部の同級生でした。この高校には卓球部の男子と作業をする女子はサボるという呪いでもかかっているのでしょうか。
結果、この呪われた2人で1つの新聞をつくることになり、呪われた新聞が完成しました。ちゃんと読んでくれた生徒はほとんどいませんでした。
そんなこんなで迎えた修学旅行はそれなりに楽しかったです。
被災地を見学したり、ボランティアをしたり、函館を観光したりと学びと遊びが両立された良い修学旅行旅行でした。あることを除けば。
それは
夕食に3日間まったく同じお刺身がでたことです。
今でも寿限無(じゅげむ)と同じくらい覚えています。マグロの赤身2切れ、イカ刺身少々、甘えび2尾、そしてホタテ1個(親指の爪サイズ)でした。
果たして、大阪や沖縄に行った場合も同じものが待っていたのでしょうか。
行先を決めるにあたっては、アンケートが反映されない「大人の力」を感じました。
しかし、修学旅行の夕食のとき、僕はこのような「大人の事情」も感じました。
そんなとき、A子ちゃんは無垢な笑顔でおいしそうにお刺身を食べていました。